ルエミーザ博士の考古学講義 第五回 「導きの門」

guidancegate前回の講義が驚愕の内容だったせいか、私の研究室へ質問に来る生徒が増えてうれしい限りだ。
あれほど我々親子が学会に発表しない美学を初回の講義で言っておいたにもかかわらず、「なぜ学会に発表しないのか」という生徒がいるのは許せない。
この美学がわからんようではこれからの講義について来れないぞ。
私は日本の川口某探検隊隊長のファンでね。彼は前例のない大発見をしても決して学会には発表しなかったそうだ。彼は動かないサソリと戦ったことがあるという。

さぁ、今回はいよいよLA-MULANA遺跡の詳しい解説に入っていこう。
まずは遺跡の入り口であるフィールド、「導きの門」だ。この写真を見てほしい。

f00-1これは導きの門の入り口にあたる部屋なのだが、ある程度古代文明に詳しい物が見ればその素晴らしさがわかるだろうし、同時に違和感を感じると思う。

まずこの壁からはえている渦巻き文様だが、これはメキシコのマヤ文明の建造物に多く見られるものに近い。
マヤの建造物では、石をレンガのように組んでいき、所々壁から突き出るように並べる事で、壁から浮き上がったような文様を壁面に作っている。

しかしこの導きの門にある渦巻き文様は壁から浮いて突き出ている。どうやって固定されているのかわからない。
特に天井に近い所にある巨大な渦巻きは圧巻だが、手が届かないので調査のしようがない。しょうがないので下の方にある小さな渦巻きを力任せにひっぱってみたが、びくともしない。

まぁ渦巻き部分からは想像できない程の長い芯のような物が壁に埋まっていると思えばこの頑丈さもわかるのだが、それでも渦巻き部分がわからない。ブロック状の岩を組んで渦巻きにしているように見えるが、これまた全然動かない。

組んでいるとか置いているとか、そういう次元ではない作り方としか言いようがない。マヤの人がこれを真似ようとして無理だったので、壁に文様だけを真似してみたと思う方が納得がいく。

違和感と言うのは先の講義で触れたように、この入り口の部屋だけでもマヤ文明とは違う様式が多数混在していると言う事だ。
写真の手前の方に写っている2本の柱だが、これはマヤではなくメキシコ北部のトゥーラというテオティワカン文明の遺跡に似たようなジャガーの壁画がある。壁画ではなく立体になっているのは初めて見た。
そして写真中央にある大きな顔。これはメキシコ南部にあるラ・ベンタと言う場所に多数出土している巨大な顔の石像に似ている。ただ壁に組み込まれているタイプはここでしか見た事がない。ラ・ベンタのものと顔つきが似ているのだ。モデルになった人種が同じなのかもしれない。
他の部屋にはメキシコ中部のミトラというアステカ文明の遺跡にある壁画に似た物も見かけた。写真左下の石組みなんかは南米のティワナク遺跡のそれに近い。

これだけ聞くと、全部近い所にある文明じゃないか、多少様式が混ざっていても不思議じゃないんじゃないの?という者もいるかもしれない。
だがマヤとテオティワカンは文明が違うし、これらは紀元前200年あたりが発祥で時期は近いが、ラ・ベンタの巨人顔面像は紀元前1200年ぐらいのものである。さらにはティワナク遺跡は南米のプレ・インカ文明の物だ。

それでもメキシコと南米なら、この写真に違和感があると言う程でもないと言う者がいるなら次の写真を見てもらおう。

f00-2おっと、この写真には私が写ってしまっているな。ノートパソコンのカメラをタイマーにして撮ったんだ。
あぁそうそう。前回の講義で見せると言っていたモンスターも写っているな。ちょっと大きめのネズミにしか見えないだろう?
ところがこのネズミ、敵が近くに来ると自分で体を爆発させるんだよ。そんなネズミがいるかね?
調べてみた所、生態がもっとも近いと思われるのは日本の妖怪「コダマネズミ」だったな。メキシコ・南米の様式が混ざった遺跡に日本の妖怪だぞ?これだけでもう、何が何やらわからん。
しかもこの写真の真ん中に写っている巨大な岩は、南米のインカ文明のオリャンタイタンボ遺跡に似たようなものがある。それは屏風岩と呼ばれていて、縦長の巨大な岩が隙間なく並べられている物だが、写真の物はその倍以上の大きさだ。

まだあるぞ、これだ。

f00-3これが前回の講義でふれた、ペルシャに伝わる伝承を示す壁画だ。
この魚の頭をかぶったおっさんのような人間はオアンネスと呼ばれていて、ヘレニズム時代にペルシャの人々に文明を授けたといわれている魚人だ。
似たような物は中世ヨーローッパに伝わるシービショップというモンスターや、日本にも海和尚という妖怪がいるな。まぁ一般的に言う半魚人ってやつだ。

このように様式がバラバラな導きの門であるが、他のフィールドも似たり寄ったりであらゆる文明がミックスされている。
いや、ミックスという言い方は間違いだな。この遺跡の様式が部分的に真似られた物が世界に広がっていたと考えるべきだ。
しかしこの導きの門だけは他のフィールドと違って、様式だけでなく作られた時代もまちまちらしい。らしいというのは、私は岩の成分から年代測定をするような機材までは持ち込んでいないので確かな事はわからないのだ。だが見た感じからしても、他の石組みに比べてオアンネスの壁画は損傷も少なめで新しく見える。他にも後から付けたような十字架型のレリーフや石碑等が点在する。
まるで遥か昔に作られた場所に何代かにわたって別の種族が手を加えていったように感じる。これは推測だけでなく、他のフィールドを調査する事である程度確信できている事なのだが、後の講義にとっておこう。

次はこの導きの門と繋がりがあると思われるメキシコや南米の文明についてでも説明しようか。遺跡の上にある村もなかなか変わってて面白いんだがな。
ということでまた次回の講義で。

ルエミーザ=小杉